私の日本、私の日韓アジア基金 
    
                            朴昌鎬(パク チャンホ)韓国・三星生命勤務

私は20043月、会社の研修のため、日本に来ました。基金には私の日本語の個人教師であった千葉さんに紹介して頂き、参加させて頂くことになりました。日本にきたばかりの時からボランティア活動を通じて多様な分野の人とつきあいたいと思っていました。私は昔から韓国と日本が力をあわせれば物凄いパワーが出るだろうと考えていました。しかし、不幸な過去の歴史の壁を乗り越えられず、お互いにとんでもないことに力を費やしてしまっているのではないかと思っていました。このような私の考えを千葉さんと話し合っていったところ、千葉さんが日韓アジア基金について話してくれました。基金活動を通じて日韓関係の全ての問題が解決されるわけではないのですが、日韓関係を大事にしたいと思う一人の韓国人として、今までとは一桁違った日韓の接近方法だと思いました。それが私の基金のメンバーになったきっかけであります。あまり活発な活動はできませんでしたが、基金活動の中、うらやましいと思ったことがたくさんありました。例えば、世代を超えた協同のことですが、大学生から会社を引退した年輩の方まで世代は違いますが一体感を持って一緒に協力して行く姿はうらやましくてたまらなかったです。韓国人は儒教の影響で年輩者を尊敬する意識が強いと日本人によく言われることがあります。しかし、年輩の世代に対して親近感が感じられず、年輩者と若者との世代の壁もその分高いのではないかと思います。さまざまな分野で活躍した経験を生かしたシニア、活力のあるジュニアの融合は韓国では珍しい本当に素晴らしいことでありました。それが今の日本をつくりあげた原動力でもあると思います。今はカンボジアの子どもを助けていますが、日韓アジア基金のキーワードは日韓協力とアジアへの貢献です。そういうわけで私は正直、カンボジアのことより基金の活動そのものがよかったです。
 9ヶ月間の日本での一人暮らしの中、知らずに入って困った混浴、大雪のせいで足止めされた旭川空港での騒ぎなど、さまざまな経験をしました。ですが、日韓アジア基金のメンバーの一員として活動できたのは、一番幸いな経験でした。日本にくる前、日本という国は私にとって憎むべき国でした。周りの人から聞いた話で漠然とした恨みを持っていたのは事実です。今は憎んだり、恨んだりする感情は少しもありません。でも最近、日本の政治家、歴史家は何か右の方ばかり向いているような気がしてまだ日本が好きだとは言えません。しかし、日本人はそうじゃありません。自分の意見や感情をはっきり言ってくれない曖昧な振る舞いも他人を傷つけたくない思いやり、気配り、繊細な人間性のためであることが分かってからは日本人が大好きになりました。長所があれば短所もあるわけです。細かくて繊細な性格は普通の韓国人が持ってない性格ですが、ダイナミックでアクチブな性格は韓国人の特徴であります。日本はまだ嫌いだ。しかし、日本人は大好きだ。韓国人が持ってないものを日本人は持ち、日本人が持ってないものを韓国人は持っているのになぜ両国はもっと親しくなれないのでしょうか?答えは分かりませんが、日韓アジア基金の活動はその答えの一つになるだろうと思います。この疑問と解答探しの努力が私の日本生活の結論でした。基金の皆様に言葉で言えない感謝の気持ちをお伝え致します。
  

この活動を通して、日中の壁を乗り越える道を探りたい

                                                           李天舒(リ ティアンシュ) 東京大学学生

こんにちは。李天舒(Li Tianshu)と申します。東京大学教養学部文科二類一年の中国人留学生です。出身地は中国遼寧省瀋陽市です。
 私は日韓アジア基金に入ったきっかけが何かを話す前に、まず私が日本へ留学しに来た理由を説明したいと思います。私は中学校から日本語を第二外国語として学び、日本語への興味は勿論ありましたが、最大の理由は日本という国に対する深く、幅広い興味です。周知のとおり、日本と韓国の間の歴史問題は日本と中国の間にも同様に存在します。しかも、この問題をめぐる、相互の誤解は日韓以上に深く、論争は日韓以上に激しいといえるでしょう。しかし「一つの立場だけでは、いつまで経っても全ての実情を理解することはできない。」と思い、日本へ留学する道を選びました。日本という国で生活したり、勉強したりすることで、日本人が一体どのように自分自身のこと、世界のこと、中国のことを考えているのかについて、この目で確かめたいのです。
 日韓アジア基金のことを知ったのは約一年前、私がまだアジア学生文化協会(ABK)の日本語コースで勉強していたころでした。私の高校の三年先輩にあたる王嶺君の紹介で、日韓アジア基金が主催した「アジアの友達を作ろう」というイベントに参加してみました。その場で、大澤さん・田村さん・樋口さんなどスタッフの方々と知り合いました。本基金の活動のすばらしさに胸打たれ、できる限りの協力をしたいと感じるようになりました。そして、「日本と韓国間でのこうした活動を経験して、歴史の壁を越えるという発想、感覚を得ることは日中関係の改善にも参考になるのではないか」と考え、日韓アジア基金のジュニアスタッフになりました。さらに、日本の中国人留学生として日韓アジア基金に参加する意義は何であろうかと考えて、以下の二つを挙げたいと思います。
  1、   日本と韓国の民間団体の活躍により、調和した東アジアという友好的雰囲気を作り出すことは、中国にとっても有益である。
  2、 
アジアの一員として、中国もカンボジアに対して国際的義務を持っている。
 このことから、日韓アジア基金の活動は、国際環境での協力、が原点となっているのではないかと考えています。今まで日韓アジア基金の活動に参加してきて、特に深く感心したのはこの団体の「一人一人を大切にする」という性格です。初めてイベントに参加し、自分がもしILAF(日韓アジア基金)に参加したら何ができるかと田村さんに尋ねると、彼は「何ができるかは問題ではなく、何がやりたいかこそ大切ですよ」と答えました。一人一人のやる気を大切にすることこそ、日韓アジア基金というボランティア団体の方針だということが分かりました。それから、日韓アジア基金の事業から見ても、カンボジアの一人一人の子供を大切にするというボランティアの精神が見られます。この精神をもって、これからも同じ理想を共有するスタッフ達と一緒に活動し続けたいと思います。


     一歩踏み出すこと

              菊池礼乃(きくち あやの) 早稲田大学 法学部3年 
 昨年1人の留学生に指摘された言葉が、今でも私自身を見返すヒントになっています。―――「日本の若者は元気がないよね。」
 最近、「NEETNot in Employment, Education or Training」という、「職に就いておらず、学校機関に所属もしておらず、そして就労に向けた具体的な動きをしていない」若者を指す言葉がマスメディアを中心に話題となっています。日本では、このような若者が年々増加しているようですが、私に指摘してくれた留学生もこの状況を危惧したのかもしれません。彼は「日本は物も豊かにあるし、働かなくたって食うに困らない生活ができる。だから、物事に対するハングリー精神が欠けてくるのではないか。」と分析していました。
 私の周りの若い人を観察してみると、もちろん自分の夢を叶えようと一生懸命に努力する人もたくさんいますし、私も行動力に優れた友人をたくさん知っています。しかしながら、一方で自分が何をしたいのかよく分からないという人を多く見かけるのも事実です。
 それでは、私自身はどうなのかというと、後者のような側面も多分に持ち合わせていたと思います。私は、高校生のときから漠然と国際協力の活動に携わりたいと考えていました。大学生になって授業やサークルでたとえば国際問題、社会問題について議論する機会は多かったのですが、実際に現場で活動することはほとんどなく、大学1年が終わる頃、本当に現場を見ないで、ただ机の上の資料を参考に議論するだけでいいのかと悩むことが多くなりました。その頃は気持ちも悶々として、多くのことに中途半端だったと思います。その半年後、私は大学主催のNGOイベントで日韓アジア基金と出会いました。
 「識字教育支援」、母の祖国である「韓国」という言葉に引かれたのも事実なのですが、やはり実際にカンボジアで学校が作られ、そこの子どもたちのためになすべきことを考える、いわゆる「現場」での活動に携わりたい、そして自分自身を変えたいと思い、一歩踏み出すことにしたのです。それからの日韓アジア基金の活動では、本当に学ぶことがたくさんあったと思います。1つのプロジェクトのために皆の意見をまとめるミーティングやその執行機関としての現地スタッフの活動、きちんと帳簿付けされる会計など、大学だけの学生生活では知ることができないことを目の当たりにして勉強する毎日です。
 私の経験を踏まえて思うことは、「日本の若者は元気がない」と言われていますが、おそらく経験・体験することが少ないからだと思います。私もこの団体に入って初めて知ることがたくさんあり、そこからもっと知りたいと思う気持ちが出てきました。これは、他のことに対しても言えることで、アンロンコン村の子どもたちも、文字や数字を学んで初めてその楽しさや世界の広がりを感じるのだと思います。私は、まだまだ経験が浅いので、今後もっと自分を広げる活動をしていきたいです。そして、どんなことにも「一歩踏み出すこと」を恐れずに、たくさんの壁にぶつかっていきたいと思います。